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観光名所

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山天斎南冥梅

基本情報

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  • アドレス
  • 電話番号055)970-6401

内容

智里山の天王峰の下、山清郡矢川面絲里にある山天斎の庭には、南冥曺植(1501~1572)先生が61歳であった明宗16年(1561)に自ら植えた梅の木がある。山天斎は、先生が学問を磨き研究した所で、明宗16年(1561)に建てられ純祖18年(1818)に修復された。前面2間、横面2間の造りからなっている。南冥先生は、嶺南の退渓李滉と双璧をなすほど湖南学派のリーダーであった。生涯官職につくことはなかったが、死後、司諫院と大司諫に続いて領議政(首相)に叙位された。先生は1501年(連山7年)に慶尚道三嘉県で生まれ、官職についた父親に従ってソウルに引っ越したが、その後は 宜寧、金海、三嘉などの地に居住した。先生は61歳の年に山清の徳山に移住し、そこに書斎を造って山天斎と名づけた。この‘山天’という堂号は《周易》大畜卦の“強健で篤実に修養し、内に徳を積み外に光を放って、日ごとにその徳を新しくする”という言葉の意味をとったもので、強健な気性と篤実な姿勢で世に出ることなく深く埋もれて心性を陶冶する正しい修養をすることが学者の道である、ということを明らかにしたのである。先生は山天斎を建ててからその庭に梅の木を自ら植え、毎年美しい花を咲かせるこの梅の木をとても愛した。先生の詩からも、この梅の木に対する愛情をうかがい知ることができる。山天斎の庭にあるこの南冥梅が、山天斎が建立された当時に植えられたとして、すでに440余年の年輪を経ていると考えられる。下から大きく3つに分かれた枝は、ねじれて上に伸びている。上の方の枝は一部枯れているが、新しい枝が細かく出ていて、比較的元気なほうだ。毎年3月末になると、うすピンク色の半八重の花がいっぱいに咲き、その香りがとても爽やかだ。不義に妥協せず、生涯官職にもつかないまま全くの隠遁の志士であった南冥のその清らかな精神が、南冥梅のかぐわしい香りの中に今も染み込んでいるようだ。山天斎の庭園のはずれ、川の方の丘には南冥梅より後に植えたと思われる大小の梅の木がある。また、山天斎の外の庭には闊葉常緑樹で、美しく大きく伸びた白樫の木が何本も立っていて風情を添えている。

山天斎南冥梅 저작물은 자유이용을 불가합니다.

山天斎南冥梅 저작물은 자유이용을 불가합니다.

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