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観光名所

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南沙里元正梅

基本情報

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  • アドレス
  • 電話番号055)970-6421

内容

慶尚南道山清郡丹城面南沙村は約500年余り前に形成された村で、朝鮮時代の伝統的な様式を備えた古宅が数件あり、古い村に相応しく、ムラサキツリバナ(紫吊花)の古い木が何本も立っている。この村には古い梅の木が多いことでも有名だ。この村の古宅の中の1つに、晋陽河氏の家、32代続いてきた‘汾陽古家’がる。この家は 元正公(義を行い民を喜ばせる‘元’、正義により他人を従わせる‘正’という意味) 河楫(1303~1380)が住んでいた家だ。 彼は21歳の1324年に進士を経て、文科の甲科に3等級で合格し、慶州府尹(地方官吏)と門下贊成事を経て、輸忠佐理功臣重大匡輔国崇祿大夫晋川府院君に昇格した。この家は、東学乱の時に焼失し、現在は彼の31代後孫である河澈によって新しく建てらた。‘汾陽古家’と書かれた額がかけてあり、無き日の名門家の痕跡を残している。興宣大院君の‘元正舊廬’の自筆の額縁が保管されているサランパン(居間)の前には610年の歳月をじっと見守ってきた梅の木が、見栄えのいい松の木と一緒に

並んでいる。この梅の木は高麗元正公、河楫が植えたもので、その切り株からは古い梅の木としての風格が感じられる。3月の末にはうすピンク色の花が咲く。元正梅の前には小さな‘梅詩碑’があり、碑には梅の詩が刻まれていて、元正公の梅を愛する心が深くしみこんでいる。この家の後ろには、朝鮮王朝世宗王の時、領議政(国務総理)をしていた河演が自ら植えたという600余歳の柿の木もある。晋陽河氏の大同譜(第1巻)によれば、1377年以降に元正公は松岳に家を建て‘松軒’と名づけており、“早くに梅の木を一本植えた”と書かれている。彼の孫が植えた柿の木が580年になることから、現在ある梅の木は樹齢610余年を超えていると思われる。

南沙里元正梅 저작물은 자유이용을 불가합니다.

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